漫游志| 被《岳人列传》改变的日本山岳漫画与村上纪香
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说起登山运动漫画,或者说山岳漫画,首先想到的还是已故漫画家谷口治郎改编梦枕貘小说名作《神之山岭》(神々の山嶺),此外比较有名的还有石塚真一的《岳》等等。这些作品都以现实主义风格描绘专业登山运动著称。
1980年代初集结发表的《岳人列传》时间上比以上两作早的多,知名度略低,村上纪香此后的诸多名作如《六三四之剑》《仁医》《龙-ron》远比《岳人列传》更出名。
《岳人列传》1980-1982年间在《少年Big Comic》(小学馆)以短篇漫画形式不定期连载,1982年集结出版,共收录《南西壁》《裸足之壁》《北壁》《远い顶》《ザイル》《喜马拉雅之虎》《吹雪》《K2》8则中短篇作品。
虽然只有短短一册,在日本漫画史上却占据一席之地——该作被公认为是日本山岳漫画先驱之作,1982年曾力克当年热门棒球漫画连载《touch》,荣膺第6届讲谈社漫画赏少年部门奖。
如果看过《神之山岭》,会被漫画散发出的冷冽孤绝又壮美的气质深深吸引,而读到80年代初的《岳人列传》,会更惊讶地发现两者仿佛一脉相承。
村上纪香在8则故事中遍数世界名山,从珠穆朗玛峰、喜马拉雅山脉,少女峰、K2到日本的北阿尔卑斯山脉,结合登山运动史上的真实事件,用现实主义写实手法和细腻的笔触,讲述一个个惊心动魄的传奇故事:
舍弃家庭也要向山前行的男人;
为了回收多年前坠崖长子尸体,又失去次子,然后选择继续向上攀登的老人;
游遍世界名峰又救人于危急,经验丰富的女登山家在脱险咫尺前殒命;
父子两代结为登山搭档,夹杂着嫉妒猜忌又心心相惜的男人们;
舍弃安逸生活和世俗婚姻,一心共同挑战世界之巅的爱侣;
在生死边界谋生,对山抱有更复杂情感的夏尔巴人们;
抛弃一切携手完成K2登顶壮举,却终究被山吞噬的男人们……
在《岳人列传》之前,日本也有描绘到登山运动的漫画作品,或是散落于系列作品中的片段,或是通俗娱乐向少年冒险漫画,比如永岛慎二的《山の章太郎》(1956)等,但不足以成体系。
《岳人列传》应当是首部现实主义严肃描绘专业登山运动的日本漫画。相比《神之山岭》等作,《岳人列传》在登山技能以及相关的医疗急救描写准确细致程度还略逊一筹,但也已超越同期《巨人之星》热血根性体育风格的长尾。而作品描绘世界各地不同的登山者画像,展现人生百态,以及登山者们所处的环境与时代,刻画人性的复杂,人生无常以及大自然的残酷壮绝,入木三分的笔力将日本山岳漫画的境界拉到前所未有的高度。而彼时村上纪香还不过入行将近十年。
他更脍炙人口的《龙-RON》等作品还未诞生。年轻时的村上仍在赛车登山棒球等多元题材中摸索磨砺自己的漫画风格。创作《岳人列传》的初衷只是正好有机会可以自由发挥画点喜欢的,又刚好和有登山经验的编辑和其好友讨论生发兴趣,村上本人此前并没有登山运动的经验。
那他又为何要绘制一个登山系列故事呢?
此处先宕开一笔,聊聊《岳人列传》诞生前后现实中的日本登山运动。从战后到1970年代,日本登山运动员持续不断向世界各地的名山发起挑战,创下一连串辉煌纪录——
1970年日本登山运动员首次成功登顶珠峰;1975年5月16日,日本女登山运动员田部井淳子成为首位成功登顶珠穆朗玛峰的女性;同期被誉为日本传奇探险家、登山家的植村直己还活跃在世界各地,他于1970年达成世界上首位成功登顶五大洲最高峰的纪录,1970年代还达成横越北极等成就,先后出版过《赌青春于群山》、“极地三部曲”等著作。
踏破世界尽头的探险家意气,深远地影响了日本登山运动,也可以在《岳人列传》虚构的故事篇章中依稀分辨出植村的身影。村上纪香也曾提到植村直己对创作《岳人列传》的影响(注:植村在1984年2月13日在阿拉斯加麦金利山下山途中跌入冰缝失踪,前一天正好是他的生日)。另外《岳人列传》连载期间的1981年,日本登山运动员成功登顶被公认攀登难度最大的k2峰(乔戈里峰)。也许这是村上纪香1982年创作最后一篇中短篇漫画《K2》的缘起。所以可知现实中日本登山运动在1970-80年代初持续不断的发展和普及,是《岳人列传》诞生并衍生出山岳漫画分支背后的时代风景。
而没有登山经验的村上自有独特创作理念——“正因为不懂,才想要描绘!”
村上会为了创作漫画倾注大量精力进行细致严谨的考据,彻底搞懂自己不了解的领域,他在此后的创作生涯中也践行这一创作理念。《岳人列传》连载中途的1981年,村上纪香开始连载长篇剑道漫画《六三四之剑》,故事讲述少年夏木六三四不断挑战强敌,追求剑道极致,是村上纪香第一部热门长篇主流连载作品,当时在日本掀起剑道热潮。
村上纪香本人同样并没有剑道学习经验,依靠扎实的取材和资料积累,《六三四之剑》的剑道运动的描写得到市场和剑道业界普遍认可与好评。到2026年5月,村上纪香被全日本剑道协会命名为协会大使,近期公布2027第20回世界剑道选手权大会官网也采用《六三四之剑》原图作为主印象图,作品影响力可见一斑。
村上纪香曾说,《岳人列传》中很多故事是因为想要描绘某一个画面而诞生的,比如《裸足之壁》,讲述贫穷的夏尔巴少年甘巴在青梅竹马的女生远嫁他乡的当日挑战“勇士之壁”,在痛恨自己成长太慢,村上正是为了描写最后夏尔巴少年艰难登顶振臂高呼少女名字的一幕,才画了这个忧伤又热血沸腾的故事。
村上纪香《裸足之壁》原画稿 摄于村上纪香作品展他又为了描写父子两代登山家失之交臂生死两重天的那一秒而创作了第三话《北壁》。最具冲击力的画面没有人物或背景,只有父子两人没能抓住的双手。
30年后《岳人列传》重版,已经创作了《龙-Ron》《仁医》等名作跻身一代漫画名家的村上纪香接受采访时回顾故作,他说——
我喜欢描绘“border”,或者说某种境界,国境,生死之境,命运交错的分水岭……“平凡的人人生中唯一一次脱离安全地带的瞬间”,描绘如是境界的经验,切实地成为我作为漫画家的宝贵财富。
这段话揭示了《岳人传说》乃至村上纪香漫画生涯的创作母题——如何描绘前所未达之境
这一部分以后有机会另外展开,只说一个有趣的点,村上在《岳人列传》中对不丹和夏尔巴族群的描写和兴趣,延续到了《龙-Ron》的结局,主人公中日混血押小路龙跨越大陆的旅途终于“龙之国”不丹。
由此可以窥见短小精悍的《岳人列传》与村上此后诸多名著之间的关系,体会此作的不凡意义。
再说山岳漫画,此后谷口治郎改编漫画《神之山岭》(2000-2003)将村上纪香1980年代初开辟的山岳漫画之边线推向更高境界,确立日本登山漫画不朽的艺术价值。此后不断被翻拍成真人电影和动画电影。关于这部作品的安利,可以阅读本号旧文因为山在那里
相比之下石冢真一的《岳》(2003-12)不再执着追求在意境上进一步超越前人,而是朝着山岳救援专业细分领域纵深,探索和扩展山岳漫画的内涵。
此后的山岳漫画趋于大众向。比如坂本真一的《孤高之人》
而《神之山岭》《岳人列传》那样的作品渐渐成为这个领域如珠峰k2般的高峰,孤绝、震撼。
能够在一本短篇漫画中同时看到日本山岳漫画和村上纪香漫画人生的源流,还是有些感慨。是为记。
向决意向上的灵魂致敬。
登山漫画、あるいは山岳漫画といえば、まず頭に浮かぶのは、やはり故・谷口ジローが夢枕獏の小説名作をコミカライズした『神々の山嶺』だろう。他にも、石塚真一の『岳 -みんなの山-』などが有名だ。これらの作品はいずれも、リアリズムに徹したスタイルでプロの登山運動を克明に描いた名作として知られている。 1980年代初頭に集結・発表された『岳人列伝』は、時期的には上記2作よりもはるか前に発表された作品であり、現在の知名度はやや劣るかもしれない。村上もとかのその後の代表作である『六三四の剣』『JIN-仁-』『龍-RON-』のほうが、『岳人列伝』よりはるかに広く知られている。
『岳人列伝』は、1980年から1982年にかけて『少年ビッグコミック』(小学館)にて短篇漫画形式で不定期に連载され、1982年に単行本化された。「南西壁」「裸足の壁」「北壁」「遠い頂」「ザイル」「ヒマラヤの虎」「吹雪」「K2」の計8編の中短編作品が収録されている。わずか全1巻という短さでありながら、日本の漫画史において確固たる地位を築いている。本作は日本の山岳漫画の先駆的作品とみなされており、1982年には当時大ヒットしていた大人気野球漫画『タッチ』を抑え、第6回講談社漫画賞少年部門を受賞するという快挙を成し遂げた。
『神々の山嶺』を読んだことのある人なら、作品全体に漂う冷徹で孤高、かつ壮大な世界観に深く引き込まれたはずだ。そして、80年代初頭の『岳人列伝』を読めば、両者の間にまるで血脈が受け継がれているかのような、一脈相通じるものを感じてより一層の驚きを覚えるだろう。
村上もとかはこれら8つの物語の中で、エベレスト、ヒマラヤ山脈、ユングフラウ、K2から日本の北アルプスに至るまで、世界の名峰を舞台に選んだ。そして登山史における実際の出来事を織り交ぜながら、リアリスティックな描写と繊細な筆致で、息をのむような緊迫感あふれる伝説的な物語を描き出し、日本の登山漫画のレベルをかつてない高みへと引き上げた。
『クライマー列伝』以前にも、日本には登山を描いた漫画作品は存在した。しかし、それらは独立したジャンルとして体系化されておらず、オムニバス作品の一部であったり、大衆娯楽向けの少年冒険漫画であったりした。例えば、永島慎二の『山の章太郎』(1956年)などがその一例だ。そういう意味で、『クライマー列伝』はプロの登山を本格的かつ厳粛に描いた、日本初のリアリズム山岳漫画と言えるだろう。『神々の山嶺』などの後発の作品に比べると、登山の技術やそれに関わる医療・救急処置の描写の正確さや緻密さの面では一歩譲るかもしれない。しかし、世界各地の多様な登山家たちの姿を描き、それぞれの人生や、彼らが置かれた環境と時代、人間の複雑な心理、人生の無常さ、外の世界の残酷で雄大な姿を浮き彫りにした。その骨太で凄みのある筆力は、同時代の単なるエンターテインメントやスポーツ漫画の境界を完全に超越していた。驚くべきことに、当時の村上もとかは、漫画家デビューからまだ10年にも満たない若手だったのである。
この時期の村上は、カーレース、登山、ミリタリー、野球など、多種多様なジャンルを手探りで描きながら、自身の漫画スタイルを模索し、磨きをかけている最中だった。そもそも『クライマー列伝』を執筆することになったきっかけは、登山の経験がある担当編集者やその友人との会話から興味を持ったことにすぎず、村上自身にはそれまで登山の経験は全くなかった。
ここで少し本題から離れ、『クライマー列伝』が誕生した前後の、現実の日本における登山運動について触れておきたい。
戦後から1970年代にかけて、日本の登山界は発展を続け、登山家たちは世界各地の名峰に次々と挑戦し、輝かしい記録を打ち立てていった。1970年には日本人による初のエベレスト登頂が成功し、1975年5月16日には、登山家の田部井淳子が女性として世界で初めてエベレストの頂に立った。また、日本の伝説的な冒険家であり登山家でもある植村直己は、1970年に世界初の五大陸最高峰登頂を達成し、70年代には犬ぞりによる北極点到達などの偉業を成し遂げ、『青春を山に賭けて』や「極地三部曲」などの著書を出版した。世界の果てへ挑み続けた彼の冒険家としての気概は、日本の登山界に多大な影響を与え、その影は『クライマー列伝』のフィクションの物語の中にも色濃く投影されているのを感じ取ることができる。村上もとかも、後の対談インタビューなどで植村直己について言及している(注:植村は1984年2月13日、アラスカのマッキンリー山からの下山途中にクレバスに滑落して消息を絶った。その前日は彼の誕生日であった)。
さらに、『クライマー列伝』の連載期間中である1981年、日本の登山隊は世界最難関のルートとされるK2(チョゴリ)の登顶に成功した。これを受けて村上もとかは1982年、本作の締めくくりとなる最後の中短編「K2」を描き上げた。
登山の経験がなかった村上は、「知らないからこそ、描きたい!」という独自の創作理念を抱いていた。 漫画を制作するにあたり、村上は膨大なエネルギーを注ぎ込んで緻密で厳格な考証を行い、登山界の様々な専門家に取材を重ねた。自分が全く知らなかった領域を徹底的に学び、登山という世界を追体験したのである。この創作理念は、その後の彼の漫画家人生においても一貫して貫かれることになる。
『クライマー列伝』の連載中である1981年、村上もとかは長編剣道漫画『六三四の剣』の連载を開始する。少年・夏木六三四が強敵たちと競い合いながら、剣道の極みを目指して成長していく物語であり、これは村上にとって初の本格的な大ヒット王道長編連載となり、当時の日本に空前の剣道ブームを巻き起こした。村上自身、やはり剣道の経験はなかったが、徹底した取材と資料の積み重ねによって描き切った。80年代の熱血少年スポーツ漫画のスタイルを踏襲しつつも、剣道の描写は非常に緻密でプロフェッショナルなものであった。その影響力は凄まじく、時を経て2026年の今時今日に至るまで、村上もとかは全日本剣道連盟からアンバサダーに任命されており、近期発表された2027年世界剣道選手権大会の公式サイトでも『六三四の剣』の原画がメインビジュアルとして採用されているほどだ。この作品の影響力は一目瞭然である。
話を『クライマー列伝』に戻そう。村上もとかはかつて、本作の多くの物語は「描きたい特定のワンシーン」が頭の中に浮かんだことから生まれたと語っている。例えば、貧しいシェルパの少年・ガンバが、幼馴染の少女が他郷へ嫁いでいくその日に「勇者の壁」に挑む姿を描いた「裸足の壁」がそうだ。村上は、シェルパの少年が絶壁の頂上から少女の名前を叫ぶあの瞬間を描くために、切なくも胸が熱くなる物語を紡ぎ出した。また、父と子、二世代の登山家が崖の上と下で生死の境目を分かち合う、運命の刹那を描くために第3話「北壁」が描かれた。
30年の時を経て『クライマー列伝』が復刻された際、『龍-RON-』や『JIN-仁-』などの名作を生み出し、一世を風靡する大御所漫画家となった村上もとかは、インタビューで過去の自作をこう振り返っている。 「私は『ボーダー(境界)』を描くのが好きなのです。ある種の境界、国境、生死の境、あるいは運命の分かれ道……。『平凡な人間が、人生で唯一度だけ安全地帯から足を踏み出す瞬間』、そうした境界を描いた経験は、漫画家としての私にとって真にかけがえのない財産となりました」




